WEB 齋藤ゼミ 論文集
このwebについて:このwebは過去の論文集の情報を集めて行くつもりで始められました。最初は目次のみを掲載、今後は内容も組み込んでみたいと思っています。文責は全て齋藤真也に有ります。問題が有ったり何か問い合わせが有る時には 私の方まで メール下さい。

齋藤先生の巻頭エッセイ
どんでん返しのない社会 【第1号 1986年卒業記念論文集】
都市と住宅 【第___号 2000年卒業記念論文集】

【第2号 1987年卒業記念論文集】

余裕と遊び −−−−−−−−−−−−−−−−− 齋藤 靖夫 −−−3
日露交渉史−日本幽囚記から− −−−−−−−− 上遠野裕之 −−−5
日米貿易摩擦に思う −−−−−−−−−−−−− 木下  剛 −−15
ドイツの敗北 −−−−−−−−−−−−−−−− 荒井 好文 −−27
三浦大介義明の最後 −−−−−−−−−−−−− 黒川 浩樹 −−33
指紋押捺拒否事件に関して −−−−−−−−−− 小方 典子 −−41
当世学生気質 −−−−−−−−−−−−−−−− 渋谷 督陽 −−55
とりとめもなく −−−−−−−−−−−−−−− 遠藤 哲也 −−61
雑感 〜卒業を前にして〜 −−−−−−−−−− 大橋 宏之 −−73
空前絶後 −−−−−−−−−−−−−−−−−− 椎原 正尚 −−77
オーストラリア通信 −−−−−−−−−−−−− 梅本 真司 −−83

−OB特別寄稿−
嫌煙権に関するアンケ−ト −−−−−−−− 1986年度卒業生 −115
アンケートに寄せて −−−−−−−−−−−−− 梅本 真司 −143
今の僕と齋藤先生の事(II)−−−−−−−−−− 齋藤 真也 −151
行くつもりのないあなたのための私説北海道ガイド 伊戸川俊伸 −155

住所録 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−160
編集後記 −−−−−−−−−−−−−−−−−− 卒論集編集委−161
》発行者 齋藤ゼミナール 1987年卒業生》発行所 神奈川大学法学部齋藤研究室》印刷所 神奈川区六角橋 水谷印刷巧芸 TEL.491−3992》発行日 1987年3月25日》 ○c Saitokenkyushitu 1987 Printed in Japan》発行部数:200部》経費13万円(内,5万円は法学資料室からの補助)》編集者氏名:遠藤 哲也》編集期間:1986年12月〜87年3月9日05:18
2号の目次データは遠藤 哲也さんのMLヘの投稿を元にして作られています。有難うございました。([yasuo-site] 第2号  1987年卒業記念論文集 [目次 ] Date: Thu, 18 Jan 2001 00:34:05 +0900)

【第1号 1986年卒業記念論文集】

 
どんでん返しのない社会  −−−−−−−−  齋藤 靖夫   - 1-

権力分立論と司法権の限界  −−−−−−−  竹田 昌弘   - 3-
大学で考えた事  −−−−−−−−−−−−  宗万 正樹   -21-
雑感   −−−−−−−−−−−−−−−−  畔上 正樹   -29-
オーストラリア通信・放浪編  −−−−−−  梅本 真司   -41-
虚構の時空間
     --幻想のタイム・トラベル-  −  Takashi Soneda   - 61-
私たちは自由だと思ってはいないか
       --共存のために-     −  後田多 敦   - 83 -
12月の冬・1月の雪
 --オメサンチガ・コッカラ・ミイルレヤ---  猪浦 淳    - 97 -
1985年12月歓喜の中で −−−−−−−−−−  松岡 浩孝   -111 -
齋藤風雲録 −−−−−−−−−−−−−−−  熊谷 真    -121 -
スクラップ・アンド・ビルトイン・ミイケ −  河村 和宏   -149 -
犯罪報道と人権 −−−−−−−−−−−−−  加藤 紀子   -189 -

−OB特別寄稿−
今の僕と齋藤先生の事  −−−−−−−−−−  齋藤 真也   - 202 -     

住所録 −−−−−−−−−−−−−−−−−        -209-
編集後記 −−−−−−−−−−−−−−−−        -211-
》発行者 齋藤ゼミナール 1986年卒業生》発行所 法学部齋藤研究室 》印刷所 不明 》発行日 1986年3月25日 》 ○c Saitokenkyushitu 1987 Printed in Japan 》発行部数:150部》経費135,000円(補助等については不明) 》編集者氏名:不明/多分 後田多さん?  》編集期間:不明
1号の目次データは私(齋藤真也)のMLヘの投稿を元にして作られています。間違えていたらごめんなさい。([yasuo-site] 第1号が出て来た Date: Fri, 26 Jan 2001 22:10:36 +0900)







【第___号 2000年卒業記念論文集】より

都市と住宅

F. エンゲルスはすでに1872年に『住宅問題』の中で、都市の貧乏人のスラム の存在を問題にして、「近代の自然科学の示すところによれば、労働者の集合する 『不良地域』こそ、時々われわれの都市を襲うところのすぺての伝染病の孵卵場で ある。コレラやチブスや腸チブス、痘瘡その他の伝染病は、こういう労働者街の、 病毒で一杯になっている空気と、腐った水との中に、その病菌を伝播する。」 (大内兵衛訳)と書き、同時に、住宅難を社会関係によって説明しない態度を非難して いる。
「日用品の文化誌」(柏木博、岩波新書)によると、その後こうした都市を 改造していく近代的な都市計画の考え方として、人口の低密度な都市を構想する考え 方と、それとは正反対に、高密度な都市を前提とする考え方とが生まれた。前者では すでに1898年に、都市と農村を結合した田園都市(ガーデン・シティ)が提案され ている。周知のように、実際には都市はいわば無秩序に増殖し、われわれもその中に 当然のように生息している。

ところで、こうした高密度な都市の住宅を考えた代表的建築家として知られる ル・コルビュジエは、「建築は住むための機械だ」として、汚染された都市を 「衛生機械」を収めた住宅できれいにすることを構想している。彼がこれに基づいて モデル住宅を作ったのが1914年や1920年というから、なんとまだ20世紀の初頭である。
私はそのひとつを、30年ほど前にスイスはチューリッヒで見たことがある。モデル住宅 はほとんど単なるコンクリートの箱であった。ただ、それは庭園の広い芝生の中に ぽつんと建っており、ガラス製の開口部がとても大きいのだけが印象的だった。
何でこんなものが有名なのか、私にはさっぱり合点が行かなかった。今このデザイン 専門家の本を読むと、コンクリートの箱が、まさに「住宅=機械」装置というコル ビュジエの考え方から来ていることがよく分る。それに「衛生」対策のために、「太陽 と空間と緑」が必要だと彼が説いたことも知った。そのおかげで、広大な芝生の中で モデル住宅がさんさんと陽光を浴びていたことも、急に鮮やかに思い出された。

横浜から神奈川大学までタクシーに乗ると、栗田谷の少し手前の道沿いに、瀟洒な 本格的数寄屋造りの家がある。いや、あったと言ったほうがいい。
一度だけ物識り顔のタクシーの運転手が説明してくれたのだが、戦後まもなく引退し、 引退後は一切の取材を断ってひっそりと暮らしていた、さる極めて著名な元女優の 家なのだそうだ。主がどのようなことになったのか私は知らない。けれども昨年、 この家が突然たった一日で解体され、さして広くはないその敷地に、いまでは6軒の 新建材の家が建っている。






【第1号 1986年卒業記念論文集】より

どんでん返しのない社会

最近の新聞のコラムにこんな記事が載っていた。高級官僚を退職して民間企業に移った人からの手紙の紹介である。「いまやわが国の経済界は“自民党員にあらざれば人にあらず”式の利権の枠組みが固まってきたのを痛感します。かつては付合い上で自民党支持を弁じていた管理職層が、いまは本気でそれを語るのです」と。大学という小さな社会から外へ出て、君達を待ち受けているのはこういう「社会」であり「国家」である。

すでに職をもち「生活者」となっている人の議論によくこういうものがある。「人権とか人間の尊厳というが、時にはある程度目をつぶった方がよいこともある。それによって人々の生活が全体として向上して豊かになれば、結局全体として実質的に一人一人の『権利』も保障されることになる」。単純なように見えるけれど、この論理は強い。時には「特定の歴史的状況」とか、その他諸々の正当化を伴って、目に見えて力を奮うこともある。が、この論理の一番の問題は、論理そのものよりも、正に「生活者」がそれに囚われ、呑み込まれやすいという点にある。

人の一生も重千代翁ほどは無理としても、いよいよ長くなっているから、これからの生涯の占める割合は単純に算術的に計算しても圧倒的に大きい。性急で激しい競争社会の中で、「これまでの生涯」は急速に「懐しい思い出」となりやすい。大学の小さな窓から覗き見して知った(と思った)人一人一人の価値も、肉体的な疲れの中で何時の間にかぼやけた妄念のように思えて来る。かつて内村鑑三は(キリスト教信仰についてではあるが)「学生のもつ信仰などは幻想であり、全くあてに出来ないものである」とさえ言っている。

ところではじめに触れたコラムの最後には、「社会党の一部にさえ自民党との連合論が出るようになったのだから、企業はどんでん返しを心配しなくても」よくなったのだと書かれている。 学生生活の「最後」のために論文集を編み「どんでん返しのない社会」へ出て行く君達に、それでも君達は君達自身と他の一人一人の価値に繰り返し思いを致してくれと願うのは、幻想なのだろうか。人の良心は内にあり、従って人の価値は内にあり、たとえどんでん返しのない社会でも、その内なるものを社会構造的なものにするのは可能なのだと伝えることは、妄言なのだろうか。

「最後の論文集」を単なる記念碑にしないために。