INDEX Philosophical Deliberation about DEMOCRACY /【 日本の歴史 】

網野先生が編集委員をしている日本の歴史の通史が出た。『00巻』の中ではっきりと宣言しているように実にすばらしい骨の有るシリーズになると思う。ここでは1巻以降の内容を書いて行きたいと思う。

【01巻 縄文の生活誌】
第一巻は縄文時代を論じている。
いままで学校で教わって、信じていたイメージがいかに誤った物で、その奥に何らかの意図が有る事を感じざるを得ない。

縄文時代のイメージとはどんな物だったろうか。
この前までぼんやりと考えていて、今でははっきりと間違いだと言い切る事ができる一つの考え方を書く。


『まず最初に日本には採集狩猟を生活の基盤とする縄文分化の人びとがいて、彼等は自然に溶け込んではいるが、生産性は低かった。そこに、中国から、米作を行なう民族が流入して、『遅れた』縄文人を日本の辺地に追いやった。
均質で優れた文化を持った彼等は神話に見られるような領土拡大を行なった。そして彼等が日本人の起原である。神話は確かに事実ではないが、その経緯を伝承と言う形で今の私達に伝えている物なのだ。』



これは、結構一般的な古代のイメージなのではないかと思う。
僕はこれを『アメリカ型民族起源説』と呼びたい。外から入ってきた優れた民族がその土地で新しい文化を育む(=自分達は強者なのだ)という図式だ。
自分達がいつも強くて、絶対に弱者になる事はないと盲信している連中の好きそうな理屈だ。しかしながら、この考え方の問題点は世界が勝者一人と多くの奴隷、そしてもっと多くの敗者で構成される物になってしまうと言う点だ。

アメリカに入って来た移民->やがて自分達の知恵と勇気で豊かさを得る事になる。(強くて賢いから当然)
もともと住んでいた生産性が低く、『劣った』インデアンは競争で負けて辺地に追いやられる。(が、それは彼等の責任である。弱いから当然)


侵略と植民の典型的な型である。実際は搾取関係(労働に対して正当に対価を受け取れない人間と、不当に高い対価を受け取る人間の集団の関係)によって成り立っている。
僕らは自分達の歴史を再構築する時に、彼等をまねたのだろうか。良く似ているでしょう。


今回第1巻を読んでみてとてもストレートに古代に対しての考え方にいかにおかしな事が多かったか良く分かった。

上に書いた考え方は全く間違えている(と思う)。詳しくはまた今度書きます。



2000年11月に新聞、TVで報道されたように、上高森遺蹟を始めとするいくつかの縄文前期の遺蹟発掘がじつは仕組まれた物で、石器などなかったと言う事が報道された。
二つ気が付いた事が有る。

一つ目は石器を作っていた人たちを『日本人』とメディアで読んでいた事。

縄文、弥生時代にこの列島にいた人たちを『日本人』と呼ぶのは実に馬鹿げた事である。

これは北京原人を中国人と呼ばないし、ラスコー洞窟に生き生きとした自分達の生活を描いたのはフランス人ではなく、アルタミラ洞窟に芸術作品を残したのはスペイン人ではないのと同じ事だ。
網野先生は」『0巻日本とは何か』で日本人と言うのは7世紀に初めて出て来た名称であり、それ以前に日本人はいなかったと言っている。そして、同じ国名が続いている事、同じ王制がこれほどに長く続いている事はどう言う意味が有る事なのか論じなければならないとも論じている。

僕もそう思う。そして、この全集では、『日本人は何か』と言う問いに答えが出されるのだろう。

二つ目は韓国のTVがいみじくも『古い時代からこの地に人間がいた事を一生懸命に証明しようとするのは日本の帝国主義の現れだ』と看破した報道を見た時である。

そのTVを見た時、凄く恥ずかしかった。詐欺と欺瞞に満ちた過去の塗固めを見すかされたような気持ちになった。
縄文遺蹟の発掘をこのように他の国の人たちから見られていたとは気が付かなかった。
先のアジアに対しての一連の侵略戦争を日本に都合良く解釈する事だけが問題な訳ではないのだ。
真にアジアの一員となるには、あらゆる物の洗い直しが必要になる。
無論、アジアの一員となるべきかどうかの議論も有るだろうが......。


発掘者が個人の欺瞞や名誉欲の為に石器を埋めたなどと言うのはささやかな事である。笑い飛ばしてもう一度学術調査をすれば良いのだ。もっと取り返しの付かない嘘を塗り固めている人間がこの国にはいる。

外から見ると実におかしな事だと言う事が浮き彫りになる。


僕らは今自分達のよりどころを失っているんだと思う。
過去に拠り所などなく、未来にこそ自分自身を見い出さなければならないのに、それができないでいるのだ。
正しく過去を見つめ、自分自身を知る視線こそが未来を見る目なのだ。
そこに、歴史を学ぶ意味が有る。





文句の有る奴は相手になってやる、いつでも来い